暮らしと風土を生み、歴史を紡いできた人のポテンシャル:人の物語 - 那須インタープリテーション
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暮らしと風土を生み、歴史を紡いできた人のポテンシャル:人の物語

暮らしと風土を生み、歴史を紡いできた人のポテンシャル:人の物語

人の物語について

那須エリアの魅力を深く理解し、単なる観光地としてではなく、豊かな歴史と文化を持つ生きた地域として那須を捉えることができるようになります。また、自然と人間の共生、地域の歴史と現代の調和など、持続可能な地域づくりや豊かな暮らしのあり方について、地域の固有性を活かしながら、伝統と革新のバランスを取る方法や、多様な人々を受け入れつつ地域の特色を保つ知恵を学ぶ価値ある洞察となるでしょう。

自然への感謝を伝える山岳信仰

那須温泉には源泉を御神体とした山岳信仰の歴史があり自然への感謝や畏怖の念を感じる自然崇拝の象徴ともなっている。

那須湯本温泉では、かつて1600年後半の江戸時代から昭和初期にかけて「高湯山信仰」と呼ばれる山岳信仰が盛んであったことから、当時の信仰の様子を感じられる石造物が今もなお立っています。高湯山信仰の御神体は那須岳の麓にある「御宝前」と呼ばれる温泉の源泉であり、湧出する温泉の成分である水酸化鉄が長い年月をかけて織りなした神秘的な岩壁です。また板室地域では同じく「御宝前」を御神体とした「白湯山信仰」も存在しており、「高湯山」と「白湯山」という二つの信仰が存在する霊場でした。現在の茶臼岳を『月山』、朝日岳を『毘沙門ケ嶽』、御神体の御宝前がある源泉を『高湯山』と呼び3つに登拝することを三山掛けと呼んでいました。とても険しい行人道で登拝を行った修行目的や五穀豊穣や雨乞い、成人儀礼として那須岳麓地域から数多くの人々が登拝に訪れ、自然への感謝や畏怖の念を感じる自然崇拝の対象とされていたことが当時の様子から伺うことができます。また当時は登拝前の身を清めるための垢離を那須湯本温泉で数日間行い、水垢離に使用するための行人湯が設けられていました。今現在も那須湯本温泉や板室地域ではその当時の名残を感じることができます。

街道による交流と足跡

那須エリアを通る多くの街道は、京の都や陸奥(みちのく)との交流がつくった歴史や文化、先人の足跡を、今に伝えている。

那須エリアは、古くから関東と奥州を結ぶ重要な交通拠点として、多くの歴史ある街道が通る地域です。
中でも、古代、飛鳥時代701年の大宝律令により整備された、京の都と陸奥の国を結んだ東山道が通っていました。東山道は、滋賀から岐阜、長野、群馬、栃木を経由し陸奥・出羽に至るもので、大和朝廷からすれば、みちのくの蝦夷(えみし)討伐のための道でもありましたが、そのことにより、源義経など、多くの著名な武将等も那須エリアを歩いており、今に続く、都との交流を示す文化や芸能なども残されています。その後、中世では、「いざ鎌倉」のための、鎌倉街道も整備され、江戸時代においては、奥州街道(日本橋~青森)(奥州道中はこの内、宇都宮~白河)が整備され多くの参勤交代にも利用されたほか、芭蕉が歩いて「奥の細道」を旅したのも、この頃(1689~1691年)であり、那須エリアにも多くの俳句が残されています。
また、那須エリアには、会津中街道もあり、これは日光を通って会津若松へ至っていた会津西街道が、江戸の5代将軍綱吉の頃起きた日光大地震(1683年)により不通になったため開削された、氏家から矢板を経て那須野ヶ原に至り、板室、三斗小屋、大峠を越えて会津若松に至る道であった。こうした多くの街道が整備された那須エリアは、白河の関に代表されるように、まさに、関東と陸奥の境界であり、武将たちのほか、様々な物資とともに、文人墨客が行きかい、交流による文化が残されました。現在も東京からのアクセスが良く、旧街道の散策やサイクリングが楽しみながら、松尾芭蕉ゆかりの地や源義経の伝説を訪ね、歴史と文化を体験することができます。

那須湯本地区に伝わる伝承

那須湯本温泉地区は、数多くの史実や伝承・伝説に彩られた、那須エリアを代表する古来からのパワースポットである

那須湯本地区は、那須を代表する古来からのパワースポットであり、数々の伝説や史実に彩られた特別な場所です。鹿の湯の発見・開湯以来、1,390年以上の歴史を持つこの地域は、那須岳に湧く温泉の源泉を御神体とする深い山岳信仰と温泉文化が融合し、自然と人々の営みが渾然一体となった空間が広がっています。鹿の湯の伝承や、「九尾の狐」が姿を変えた殺生石の伝説、那須与一が奉献した温泉神社の鳥居など、歴史的・霊的な見どころがコンパクトにまとまっており、那須エリアの象徴ともいえる存在です。この地を訪れると、自然への感謝と畏敬の念を強く感じることができ、特別な時間を過ごすことができるでしょう。

人と自然が紡いだ奇跡の風景

那須らしい風景は、かつての自然と人々の暮らしの葛藤の中で紡がれて来た物語を今に伝える奇跡の風景である。

かつて、那須連山の活動によって形成された那須の大地は豊かな自然をはぐくんだ反面、その荒々しさから人が暮らしていくためには過酷な環境でした。そんな中でも、日常生活を行っていくために、木々を伐採し薪炭林としての利用が行われてきました。また、火山性土壌がゆえに、土壌が薄く、保水力が弱い、田畑には向かない土地でした。そこで、軍馬や農耕馬としての那須駒の生産が人々の生活を支え、家族の一員として大切にされてきました。那須駒は南部馬をルーツに持ち、那須地方で育てられた馬の総称で、がっしりした体型と大きな蹄が特徴です。元々火山性土壌を好むツツジ類のため山頂付近でも多くのツツジ類を見ることもできますが、那須岳山麓では馬を飼っていた歴史から、草原が維持され、さらに、馬がツツジの毒を避けることにより、特異的に残って来たと考えられています。つまり、今の、若い木々が多く親しみやすい明るい森や、ツツジが咲き誇る那須らしい風景は、過酷な自然環境の中、先人たちが苦労しながらも、知恵をしぼり、その土地にあった暮らし方を見出し、紡いで来た、自然と人の暮らしの葛藤の中でつくり出されて来た物語を今に伝える価値ある風景なのです。 また、風景だけでなく、ツツジや那須駒を題材とし多くの芸術作品を製作されてきた作家・五十嵐豊さんの作品も、その物語を伝えており、今でも多くのファンに愛されています。なお、那須のツツジ類のひとつとして、シロヤシオ(ゴヨウツツジ)は、愛子内親王殿下のお印としても知られています。

二つの開拓

那須の風土を形づくったものは2つの開拓であり、いまもなお西洋的な雰囲気や、他者を受け入れるオープンマインドとして、脈々と受け継がれている。

那須の冷涼な気候は畜産に適し、酪農家のこだわりや努力により品質の高い牛乳が生産され、それらを素材に評価の高いチーズや、人気のお菓子が生み出されています。このような背景には、那須山麓では明治維新以降の政府や華族らによる西洋式の農場開拓から始まり、華々しい文化も生まれました。また、那須の開拓には、もう一つの物語があり、那須高原周辺では、戦後満州から引き揚げた開拓者たちが、厳しい寒さと荒野の大地に挑んだ場所です。彼らは作物が育たない酸性土壌に悩みながらも、諦めることなく酪農に活路を見出し、ただ開拓するだけではなく、現地の人々との絆を深め、共に支え合いながら、この地に根を張っていきました。この精神は、現地の人々とも互いに助け合い、信頼を築くことで、戦後の困難な時代を乗り越える大きな力となり、今の那須エリアのオープンマインドや移住者を受け入れる土壌につながっています。那須の風景はまさに、彼らの希望と努力と調和の結晶であり、今でもその精神は息づくとともに、未来へと続く希望の地なのです。

自然と人が生み出した「食材の宝庫」

食材本来の本物の美味しさを味わえる那須は、自然の恵みと生産者のこだわりが生み出した「食材の宝庫」である。

那須の水や寒暖差から生まれた食材は、「食材本来の深みのある味」を楽しむことができます。おいしいだけでなく、目を閉じて食べると食材が辿ってきた背景すら浮かんできますよ。生産量全国2位の生乳から始まり、米・野菜・肉・川魚は那須を強く感じることができるでしょう。そのストーリーをお伝えします。元々の冷涼な気候を生かし酪農が盛んになり、特に首都圏の需要に応えるために生乳・牛乳が多く生産されてきました。それらの生産量を増やしていくためにも、交配は必要不可欠です。安心・安全を確保するために、交配には和牛が使用されたことから、おいしい和牛の生産も盛んになりました。ではなぜおいしい和牛が生まれたのでしょうか。その秘密に水とお米が関わっています。那須連山からのミネラル豊富な水を飲み、地元の良質な稲わらを食べさせることで、肉質が柔らかくなりました。そして、良質な肉は牛だけにとらわれず、うまみがギュッとつまった那須の豚肉も多く生産されるようになりました。肉本来の深みのある味わいが特徴の和牛や豚肉は、今では那須には欠かせないものとして定着しました。食材そのものの味を生かすことが得意な那須は、乳製品の質の高さにも定評があります。那須では牧場や道の駅、宿泊施設などで、様々な牛の種類のソフトクリームやヨーグルトを堪能することができます。また、中でもチーズにおいては、世界大会でトップ10にランクインするほどのおいしいチーズが那須から生まれています。普段食べているチーズとは一線を画すチーズを食べてみてください。思わず「うわぁ、おいしい…」と身体から声が漏れることでしょう。拘りの食材は乳製品だけではありません。寒暖差を生かした高原野菜にも舌を巻くでしょう。生産量に限りはありますが、農家さんの拘りから生まれた高原野菜は独特で且つ繊細な味わいを楽しむことができます。最後に、これら那須の豊かな食材を支えているのは那須連山からの流れ出る水です。この豊富な水を思いっきり吸収した那須の米は、ふっくらした仕上がりにならないわけがありません。その米から生まれるお酒はもうたまらないおいしさです。そして那須の食材を下支えする水を運ぶ川に那珂川があります。実はこの那珂川は天然鮎のメッカとして釣り人たちからの人気は目を見張るものがあります。鮎が海付近から上ってくるということは、それだけ那珂川の水質に魅力がある証拠です。その鮎が海のミネラルを少なからず運んでくることが、那須の豊かな大地を作り出して、質の高い食材をもたらしているのかもしれません。食材の宝庫の那須。ぜひご堪能ください。

体で感じる自然と人の物語

山頂から山麓までの多彩な那須の自然体験には、紡がれてきた自然と人の物語が息づいている。

古から、那須連山が噴火を続け、また、源流から水がもたらされることで作られていった那須エリアの地形は、自然環境の多様性を産んでいます。山頂エリアでは、厳しいながらも美しい山岳景観が、また、高原エリアは、厳しい自然と葛藤しながらも人々の紡いできた暮らしの影響から、親しみやすく伸びやかな風景が、また、山麓では、古から続く、どこか懐かしい日本らしい里山風景が広がっています。
近年ではこうした多様性を利用して、自然を満喫しようとする人々も集まり、さまざまなアウトドアアクティビティの舞台として注目されてきました。那須連山では整備された登山コースがいくつもあり、中腹の森では自然観察やキャンプ場でのんびり過ごせ、川ではカヌーにシャワートレッキングなどアドベンチャー気分を満喫、これらの山から麓までの環境を風切って駆け抜けるサイクリングなど、初心者でも楽しめる外遊びがいろいろと体験できます。広くはないエリアの中で、様々な自然を楽しめるアクティビティがギュッと詰まっているのが那須の魅力。それを体感してもらいたいと、体験を提供している施設・アウトドア事業者もさらに増えてきて、バラエティ豊かなアウトドア体験が楽しめる場となりました。開拓により拓かれた山麓部では酪農風景、平野部では美しい田園風景とともに、食や文化を中心とした多彩な体験も提供され、自然と人々の暮らしが近く、那須独特の空気感や季節の風景が訪れる人々を癒します。ほっと一息つきながらも、その背景となる、自然と人が葛藤しながらも光を見出して来た痕跡を通し、大地に刻まれた物語に思いを馳せる時間をお約束します。

心豊かに過ごす時間と空間

那須特有の自然と風土そして多様な職人が織りなす産品は心豊かに過ごす時間と空間を生み出している。

那須地域に独自のカフェ文化が開花したのは、歴史的背景と現代のトレンドが影響している。明治から昭和にかけて、多くの華族が那須に欧風の別荘を構えたことで、地域にハイカラ文化が生まれ、それが、カフェ文化発展に寄与してきました。那須の地の利である水は、超軟水であり絶妙なバランスを持っていることで、那須の水で淹れるコーヒーは他の追随を許さないと言われている。そこに日本のカフェの聖地とされ全国から注目を集めるカフェを筆頭に、那須全体に多様なカフェ文化を形成している。それはカフェだけではなく多くの生産者がそれぞれのこだわりの素材をつくりだし、さらにその食材を活かした加工品まで職人技とも言える様々なこだわりが反映された那須産が生まれています。また新たな人と自然の関わりを生み出すスタイルを体現する方たちも多く集まっています。那須の心豊かに居心地よく人生を過ごす地域空間には、多くの職人やアーティストが活躍し、那須を代表する医師であり作家の見川鯛山氏は2021年に舞台上演された「本日も休診なり」のモデルでもある。豊かな那須の自然を慈しみそこに住む人々を愛した見川氏の姿勢は現在のアーティストにも通ずるものがある。

「居心地」という価値

那須への移住は、那須の自然だけでなく、その歴史に裏付けされた価値と居心地の良さに身を置くことである。

那須エリアは、都心から程近く、新幹線等でわずか1時間とアクセスしやすい場所にありながら四季折々の大自然に囲まれた避暑地であり、青木別邸を代表とする個性的な別荘に多様な移住者が集う場所です。1926年(大正15年)7月、那須に御用邸が完成したことによって那須の自然景観などが評価され、広く知られるようになりました。プライベートが確保できる森の中の別荘地が多く、日本有数の別荘地となりました。かつての開拓の際に、入植者と地域の人たちが互いに助け合い、困難に立ち向かい、開拓して来た歴史があるからこそ、オープンで寛容な雰囲気があり、そんな雰囲気に惹かれ、多くの移住者が訪れています。移住者は、那須連山を始めとした身近にある大自然の絶景、夏でも過ごしやすい気温の高原地帯で空が近く澄んだ空気があり、野生の鳥のさえずりで目覚め、自然ならではの様々なアウトドア生活を楽しむことができます。アーティストや職人も多く、地元のイベントやマルシェ、自然を生かした教育現場、おしゃれなカフェなどで親子3世代と犬連れの家族全員で多彩な交流ができる点も魅力の一つです。天皇をも魅了した那須の魅力、美しさ、自然体になれる独特の居心地の良さの中での暮らしは、大きな価値と言えます。